センターニュース No.64

(発行・2007/5/9)より転載

今、改めて「レイプ・クライシス」を読む

 「レイプ・クライシス」は、第6回市川房枝基金受賞をもとに、1989年に開催した、東京・強姦救援センター連続講座の記録集です。(1990年9月学陽書房刊)

 主な内容は、講座の第1回「ポルノは女への暴力だ」では、女性グループが作ったポルノ告発のスライドを上映し、ポルノとは何かを明らかにすると共に、ポルノと実際の強姦は密接に結びついており、ポルノが具体的に実行されたら強姦になるということの理解を深め、第2回は「女性にとって性的自由・自立とは」と題して、角田由紀子弁護士を迎え、女性の性的自由について法律の側面から問題提起を行い、続く第3回「つぶせ!強姦神話」では、特に強姦罪について取り上げ、段林和江弁護士が、現実の法的解釈・運用がいかに強姦神話に基づいているか、そのために強姦が犯罪として認められないという現実を伝え、今後の問題点を明らかにしています。第4回「ハードでもソフトでもレイプはレイプ」は、顔見知りの男による強姦をケーススタディしながら、強姦文化と異性愛がセットになっている現実について認識を深め、第5回「女のからだをとり戻そう」では、丸本百合子医師を中心に、女のからだがどう扱われ利用されてきたのか、具体的には子どもを生む生殖機能であったり、労働力であったり、あるいは男の世話をするもの、男の対象物としてしか評価されてこなかったことの認識を持つとともに、今、女のからだを女の手に取り戻すには、何が必要なのかを考えています。

 出版は今から17年前です。改めて読み返し、女性を取り巻く状況はここから前進したのかという問いを投げかけたとき、決して頷くことのできない現状が目の前にあります。

 ポルノによる女性への侮辱と攻撃は更にエスカレートし、日々性犯罪の手口を示唆し、煽動しています。ポルノの影響を受けた残酷な事件は後を絶たず、被害者は低年層へと拡大しています。

 法律の面はいくつかの変化がありました。ストーカー行為の規制や配偶者からの暴力の防止と保護に関する法律が新たに作られ、2005年には集団強姦罪の新設と罰則強化の改正が行われています。夫や恋人からの暴力が初めて被害と認識されたことは前進です。しかし、強姦をはじめとする女性への性暴力に対する見方が大きく変わったわけではなく、強姦罪が保護するのは女性の貞操であるという基盤は同じです。強盗して殺した罪の最高刑は死刑であるのに対して、強姦して殺した罪の最高刑は無期懲役という事実からも、女性の位置づけが判ります。

 顔見知りの男、付き合っている男からの強姦は、異性愛、すなわち女性は男を愛するものと規定されたこの社会では、常に女性の身近にあります。被害が、男女間のもめ事と受け取られる状況は依然として続いています。

 女のからだに対する認識は何も変わりません。出生率の低下に苛立ち、厚労大臣が人々の前で、女は子どもを産む機械と表現し、数年前は当事の前首相が、子どもをひとりもつくらない女性の面倒を税金でみろというのはおかしいと発言、別の議員は、集団強姦をする男はまだ元気があり正常に近いなどと、なぜかその場では皆自信満々に言葉にしています。議員という社会の中枢にある人々からこうした認識が発信され続けています。変化は、そうした発言が取り上げられて報じられる機会が増えたことと、後から謝罪することです。しかし、一方では謝ることではないという反発も増幅し、女性への圧力や攻撃も強化されています。

 石原東京都知事は、女性が生殖能力を失っても生きているのは無駄で罪だと、人の言葉を借りて言い放ち、あからさまな女性蔑視の言動を押し通したまま、この4月、対立候補に大差をつけて知事に再選されました。社会の半数は女性です。女性が誰ひとり票を入れなければ、選挙は別の結果になりえる可能性もあるわけですが、現実はこれで女性からの信任を得たものとの解釈も成り立ちます。

 強姦は女性蔑視、女性差別の問題です。強姦をなくすためには、女性が自分たちへの蔑視、差別、侮辱に敏感になり、自分がこうむっている被害について知ることが不可欠です。

 来年2008年9月、センターは設立25年を迎えます。今、改めて「レイプ・クライシス」に目を通し、ページの一行一行が現在にあっても、大事なメッセージとして呼吸していることに気づきました。ここにまえがきの一部を抜き出し、引用したいと思います。会員の皆様はお読みになった方もおられると思いますが、今一度一緒に目を通してください。

 強姦は、寓話などではなく、日々の現実です。ところが、マスコミなどでは強姦罪は「婦女暴行」、強制わいせつは「いたずら」と言い換えられてしまうことに象徴的なように、強姦の実態はごまかされ、隠されています。その一方で、強姦は暗い夜道で見知らぬ男によって起されるものだということに代表される「強姦神話」がはびこっているのです。社会の隅々まで|司法の場も例外なく|浸透した「強姦神話」は、被害者を締めつけ押しつぶそうとしています。

 強姦が不当に理解され、歪曲されていることによって、被害者のみならず女性たちの人権が侵害されていることは問題にされていません。

 女性が望まない性行為はすべて強姦です。強姦がどれほど女性の人権を踏みにじり、人権を侵害しているかを理解していくうえで、女性の性的自由および性の自己決定権について考えることは重要なことです。性的自由および性の自己決定権は、人間としての基本的人権として保障されなければならないことです。

 また、強姦は、女性全体に仕掛けられた暴力です。強姦は、女性に対して、「女」という身分を思い知らせる役割を果たしていると同時に、女性に対する男の支配、征服、所有を実現する手段となっています。

 この社会には、ポルノをはじめとして強姦を容認し、助長する強姦文化がはびこっています。強姦文化の中では、女性像も強姦を受け入れるものとして作り上げられています。そうした文化にからめ取られずに、女性自身が、自らの性に対する態度決定を、自分の生き方や価値観に基づき、規範として他の何ものにも侵害されずに持つこと(=性的自立)は、強姦を生みだす社会について、正しく理解することから獲得できていくものであると思います。

 知らないこと(=無知)は、それだけで女性を無力にしてしまいます。隠され歪められた強姦を、女性の視点で捉え直すことが、女性が安全で、力強く、自由に生きていく力を育むと私たちは考えます。

「レイプ・クライシス」まえがきより抜粋

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