センターニュースNo.49

(発行・2002/4/15)「電話相談を受けて」より転載

加害者の責任(2)

前号で、社会的に加害者の責任が追及されないことの問題点を明らかにしました。
今回は、なぜ加害者の責任が追及されないかをみていきます。
 加害者の責任が問われない原因として、強姦や痴漢などの性的暴力が、女性の人権を侵害する犯罪だと認識されていないことがあります。そのことを顕著に現わしているのが社会に氾濫しているポルノです。ポルノの中で強姦は当たり前のものとされており、セックスのバリエーションのひとつであるかのように扱われています。そして、ポルノは女が強姦を嫌がっていなく、女とはそう扱っていいものだとする悪質なイメージをまき散らしています。
 テレビのバラエティー番組などでも、平気で女性のことを「押し倒してしまえばいい!」と言うような会話が、笑いをとるものとして出されたりしています。痴漢については、やっと「痴漢は犯罪です」というポスターが駅などに登場したのですが、その加害者である男たちに対して「痴漢をするな」というキャンペーンはありません。
 強姦や性暴力の背景には、明らかにそれを容認する文化があり、その底流には「女は男の性的対象物だ」として、モノのように見る意識があります。人間にとって、望まない性的接触は身体への侵害行為です。身体も人間にとって精神の自由と並ぶ基本的なプライバシーです。女性の気持ちや意思を無視して「女は男の性的対象物だ」とする考えは、そうした基本的人権を女性に認めないものです。社会的な意識としてそれがはびこっている限り、加害者は守られてしまいます。
 たとえ加害者がその犯罪の責任を問われたとしても、それは暴行の程度がどうだとか、脅迫的なことを言ったかどうかという、表面的なことだけです。司法の場で、「被害者に合意がなかったことは認めるが、加罰性に乏しい(罪に問うほどのことではない)」という判断が下されてしまうのです。
 女性を一個の人格として認めず、男の性的対象物にすること自体に犯罪の根があります。それを不問にしている限り、強姦や性暴力を無くす方向には向いていきません。

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